大島からフェリーに乗って気仙沼湾へ。
毎年8月に行われる気仙沼最大のお祭り、気仙沼みなとまつり。
脇道に少し逸れると落ち着いた雰囲気の補陀寺。
津波によって被害を受けたものの一部が奇跡的に残った松の木。
まるで龍が昇る姿に見えることから「龍の松」と呼ばれる。
まるで龍が昇る姿に見えることから「龍の松」と呼ばれる。
2月に行われる天旗祭り。澄んだ青空に思い思いの天旗(凧)を揚げる。
リアス・アーク美術館。町の中心から少し離れた高台にある。以下メンバーの感想。
今回、ミュージアム地下1階に新設された「東日本大震災の記録と津波の災害史」で、初めて実際の「被災物」を目にすることで、今まで抱いていた「当時」の気仙沼のイメージがより鮮明になった。震災当時を直接見ていない私にとって、実物の「被災物」は、映像や文字から受け取る事実よりも何倍も生々しく、展示されていた「被災物」が訴えるメッセージは強力なものであった。
展示には当時の様子を説明する文章もあり、中でも印象的だったのは「私たちの責任」という言葉。「地震や津波などの自然災害が起こった場合に、今回のような大規模な被害を繰り返さないようにするのが、私たちの責任」、「記憶を忘れず、記録に残していくのが私たちの責任」…。ここに書かれている「私たち」は決して「被災された気仙沼の人」だけではない。私たちも東京から、海外から、震災のことを語って、伝えていく。ボランティアをさせていただいている身として、それこそが「私たちの責任」なのだとあらためて感じた。<気仙沼チーム:奥村一晟 >
東京の大学と気仙沼を往復していると、いわゆる"風化"を肌で感じる。ひとは忘れていく生き物であるし、忘れられたことで穏やかに日常を過ごせることに感謝する必要があるとも思う。ただ、起きてしまったことが、記憶が薄れていく中で、なかったことになってしまうのは、それはとても寂しいことじゃないか。がやがやと騒がしい大学の構内を歩いているときに、そうふと感じて、心が締め付けられるような思いをすることが時折ある。
展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」は、気仙沼のみなさんの伝えていく決意をひしひしと感じるものだった。もちろん、まだ伝えていくという段階まで立ち上がることができない方の存在も拝察するし、当然、あの展示まで足を運ぶことができない方も多くいらっしゃるだろう。そういった中でも、「未来のために」という強い意志で東日本大震災を表現してくださったみなさんに、僕ら学生達は感謝しなくてはならない。当時の写真、被災物、すべての展示に寄せられた文章ひとつひとつに、思いが詰まっている。それは、僕らにとっては、あまりに生々しく、直接的で、時に見るのも苦しいほどだった。ただ、今それが、気仙沼のみなさんの手で集められ、精選され、文章が寄せられ、展示されているという事実は、ずっと未来志向で、精悍に前を向いているということだ。僕が気仙沼にいくたびに感じているのはこれだ。気仙沼のどこで何をしていても、みなさんの姿勢を感じていた。そして、その都度考える。さて、僕にできることはなんだろうと。
<気仙沼チーム:若山修也>
リアス・アーク美術館公式サイト
今回、ミュージアム地下1階に新設された「東日本大震災の記録と津波の災害史」で、初めて実際の「被災物」を目にすることで、今まで抱いていた「当時」の気仙沼のイメージがより鮮明になった。震災当時を直接見ていない私にとって、実物の「被災物」は、映像や文字から受け取る事実よりも何倍も生々しく、展示されていた「被災物」が訴えるメッセージは強力なものであった。
展示には当時の様子を説明する文章もあり、中でも印象的だったのは「私たちの責任」という言葉。「地震や津波などの自然災害が起こった場合に、今回のような大規模な被害を繰り返さないようにするのが、私たちの責任」、「記憶を忘れず、記録に残していくのが私たちの責任」…。ここに書かれている「私たち」は決して「被災された気仙沼の人」だけではない。私たちも東京から、海外から、震災のことを語って、伝えていく。ボランティアをさせていただいている身として、それこそが「私たちの責任」なのだとあらためて感じた。<気仙沼チーム:奥村一晟 >
東京の大学と気仙沼を往復していると、いわゆる"風化"を肌で感じる。ひとは忘れていく生き物であるし、忘れられたことで穏やかに日常を過ごせることに感謝する必要があるとも思う。ただ、起きてしまったことが、記憶が薄れていく中で、なかったことになってしまうのは、それはとても寂しいことじゃないか。がやがやと騒がしい大学の構内を歩いているときに、そうふと感じて、心が締め付けられるような思いをすることが時折ある。
展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」は、気仙沼のみなさんの伝えていく決意をひしひしと感じるものだった。もちろん、まだ伝えていくという段階まで立ち上がることができない方の存在も拝察するし、当然、あの展示まで足を運ぶことができない方も多くいらっしゃるだろう。そういった中でも、「未来のために」という強い意志で東日本大震災を表現してくださったみなさんに、僕ら学生達は感謝しなくてはならない。当時の写真、被災物、すべての展示に寄せられた文章ひとつひとつに、思いが詰まっている。それは、僕らにとっては、あまりに生々しく、直接的で、時に見るのも苦しいほどだった。ただ、今それが、気仙沼のみなさんの手で集められ、精選され、文章が寄せられ、展示されているという事実は、ずっと未来志向で、精悍に前を向いているということだ。僕が気仙沼にいくたびに感じているのはこれだ。気仙沼のどこで何をしていても、みなさんの姿勢を感じていた。そして、その都度考える。さて、僕にできることはなんだろうと。
<気仙沼チーム:若山修也>
リアス・アーク美術館公式サイト